お元気ですか?
ご無沙汰しておりまして、すみません。
さて、
6月の臨時京都市会が来週の6月22日月曜日から
6月30日火曜日まで行なわれます。
先日、
国会で可決さた大型補正予算(追加に組まれた予算)の第2弾が
京都市にもやってきます。
今回の京都市で組んでいる予算の主なものは、
景気悪化対策とインフルエンザ被害対策として
中小企業への融資として200億円を積み増すというものです。
それ以外としては、
いつものどおり国のひもつき予算であるので
使い方の大枠は全て決められていて、
別口で使うことは許されていません。
しかしながら
その枠の中で、絵を書くのは京都市。
どういった絵を描くべきなのか、この点で
色々な角度から議論して行きたいと思います。
その中で、
ひとつ私が非常に気になる言葉遣いがあります。
京都市での議論の中でも、
マスメディアの議論の中でも
必ず出てくる言葉遣いが、
「『国からのお金』が今回、○○円で、それを××して、、、、、」
という文脈の中での「国からのお金」という言葉。
京都市が使い方を決められる独自予算を
「一般財源」とか「一般会計」というのに対して
今回の補正予算や交付金など
国の財源の中から京都市に配分されるお金を
「国からのお金」と言う使い方がよくされます。
補正予算や交付金は、
国からのひも付きの予算でもあり、
それほど自由に絵が描けない財源でもあるので
残念ながら京都市の独自予算に対するほど熱の入った考え方が
されていないのが実際のところで
私は、大変気にかかっているところです。
そもそも論として、
「国からのお金」という言い方自体がおかしいと痛切に感じます。
国って誰か?
麻生首相のポケットマネーなら納得も出来ましょう。
しかしながらはっきり言って、
これも「私たち生活者」が国に信用して託している税金です。
正直言って
「国からのお金」という言葉自体が、
物事の本質をうやむやにしてしまう空気を充分にはらんでいる
と強く感じます。
せめて
「国を経由した税金」とでも言うべきではないでしょうか。
皆さんは、
どうお考えになりますか?