BSEに感染しているということでアメリカ産牛肉の輸入中止を決め、そしてアメリカ側から安全宣言が出たということで輸入再開が決められた。
これだけ聞かされると、この前の日本のことかと思ってしまうかもしれないが、
場所は韓国である。
ものすごい多くの国民が、警察ともみ合うほど反対運動を起こしている。
何万人のデモやロウソクをつけての夜間の抗議行動など大変激しい様子である。
李 新大統領も支持率が大幅に下がり、首脳幹部が揃って辞任を申し出たりと
政界も大きな混乱に陥っている。
これと比べると日本は、まだ平穏だ。よくもっと暴動を起こすぐらいのエネルギーを
持つべきだと批評する人も多いが、私は全面的に賛同はできない。
確かにもっと怒りを外に出すぐらいのパワーが必要だと思う。
「年金記録のいい加減な状態と社会保険庁の開き直り」
「2008年3月までには年金記録の不備は全て正すと参院選で強調していたのに勝手に辞める総理大臣、言い訳ばかりの厚生労働大臣」
「欠陥ばかりの後期高齢者医療制度」
「BSEに感染していないという安全性がまだまだ不確かな中でのアメリカ産牛肉の輸入再開」
私たちが、怒る原因はこれでもかと横たわっている。私たちは、もっと怒りを表に出すべきである。
もともと日本人の中には、歴史上「一揆」「打ちこわし」「下剋上」「反乱」など怒りを爆発させる遺伝子があったはずである。討幕運動などもそうであろう。
私たちは、ある意味では実力行使をすることも必要ではなかろうか。
それがなければ、相手は何度でもなめてくる。しっかりこちらの思いというものを目にさせるということも要ると思う。
それとあわせて、表立って怒るよりもっと強いパワーもあると思う。
静かに怒るということである。中国の故事に「積水」という言葉がある。
荀子の言葉で 「積水而為海」(水を積んで海となす)、溜めに溜めて一気にそのパワーを炸裂させるという言葉と聞いた。
まさに、いまの私たち国民の思いというものは怒りの「積水」ではなかろうか。
そのパワーを炸裂させるのは、「解散・総選挙」かそれとも・・・・・・・
ともかくも私がいま一番怒りを感じるのは、社会の一部にある「自分は動かない。でも誰かがやってくれ」という考え方である。人任せ、他人任せの世界である。
劇場型政治と言われて久しいが、まさに劇場型社会である。
これだけは、私はとても受け入れることは出来ない。
私たちみんなで共に動いていく、みんなで一緒に汗をかいていく、みんなで一緒に街を火災から守っていく、
私は地域の自治会活動を通してこう学ばせていただいた。
だからこそなお更そう思うのだが、皆さんはどう思いますか?
とにかく、表立っても、静かでもいいので怒ることは必要です。
それが解決への道につながると思うからです。
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